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2007年08月11日



今日、8/11(土)はブラッキーの49日の忌日。
猛暑だったけど、家内と二人で午後からお寺に出かけました。

共同塚は木陰にあるおかげで
思ったよりも汗をかくことなく静かに合掌できました。

昨夜、お世話になった動物病院の先生や看護士さんたちと久しぶりにお会いして、元気だった頃の写真を見ていただきながら若かった頃の思い出を聞いていただきつつ、晩年、リハビリやメンテナンスで通院していたときにブラッキーに寄り添って心配してくれていたピコちゃんというトイプードルのエピソードなどを伺って、楽しいひと時を過ごしました。

そして49日のために、ステキなヒマワリのアレンジメントをいただきました。

ふと、先生が「ブラッキー、なんでいないんだろう。不思議だ」とおっしゃった言葉。

天国へ旅立ってから48日間、僕らは何度も泣いて、何度もうなだれて、それでも楽しかった頃を思い出していっぱい笑って、そしてなんだか少し強くなれた気がします。

ブラッキーがいないのは、次の人生を歩くため。
先生の言葉に即答できなかったけど、今日、お墓で合掌しているとき、そう強く感じました。

というのは、最近こんなメールをいただいたのです。

>「生も歓喜、死も歓喜」と仏法では説くと聞きます。
> また、死は一日の睡眠にもたとえられます。
> 一日働けば疲れる、翌日の力のための睡眠です。
> 同じように、長く生きていれば体も弱る・・・
> 次また元気に生きてくるための休憩が死ということだそうです。

僕はブッディストでもクリスチャンでもなく、むしろ宗教に関しては無節操な人間ですが、
この内容は、とても心の奥に沁みてきました。

死ぬということは、次の人生を歩くため。

蝉の鳴き声を背中で聞きながら、涙せずにお寺を立ち去ることができたとき、
僕はちょっとだけ、ブラッキーに自慢してやりたいと思いました。